明稜の森  
 
 

 都内にある明稜高校はマンモス校として有名であった。ありとあらゆる学科に個性的な生徒が在籍し、個性的な教師が教鞭を持つ。そして、個性的な生徒会が学校を取り仕切っていた。
 マンモス校であるから、当然その敷地は広い。正門正面の住宅に長年住むAさん(91歳・男性・無職)は語る。
『この敷地は日本軍が軍用地として買い占めたものだ』
 なぜそれが私立高校へ変貌したのか。
 別の意見もある。
 東門20メートルのところに住むBさん(77歳・女性・無職)の話。
『江戸の始まる前の時代に呪われて、大社を建てて祭っていて、明治のころに物好きの財閥が買い取って、大社を壊したら呪われて死んじまった。その子孫は社だけは残して、祭りながら誰も住まない『学校』にしたんじゃ』
 つまり、学校があった場所は最初から呪われていたと。
 
 

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 近所に住むA・Bさんの意見はともかくとして、明稜高校はとても広い敷地を有し、学び舎として多くの人材を世に送り出している。
 Bさんの意見はともかくとして、明稜高校の幾重にも連なる校舎の奥にちょっとした森があった。
 明稜の森―――と生徒たちは呼んでいるが、単なる雑木林である。
 その雑木林は、生徒達の愛の告白の場として逢引の場とされたり、素行の悪い生徒が気弱な下級生を呼び出してカツアゲしたり、普段は芝生で昼寝をしている生徒が夏にだけ涼みながら昼寝をしようとサボりに来たり、園芸部の部員達がボランティアで配る木の実を拾いに来たり、現生徒会長が埋蔵金を求めて発掘調査を行ったり、と。とても有効かつ皆に愛される場所となっていた。
 雑木林の近くには、剣道部、柔道部、弓道部の部室がある。屋外の水飲み場にはそれぞれの胴着姿をした生徒が喉を潤しに立ち寄る事が多い。
 その日は、たまたま八樹宗長は一人で水を飲んでいた。稽古途中で、胴着姿、片手には素振り用に愛用している鉛入りの木刀を手にしている。蛇口を上に向け、喉を鳴らしそのまま顔まで水をかけ、首の周りを探す。首に手ぬぐいをかけていたはずだったが、冷たい指先は直に首の皮膚を刺激したに過ぎない。
 空いていた片手で、顔をぬぐいながらも周りを探す。さっき、落としたのかもしれない。
 長い睫毛にしずくが溜まっているが、普通の水道水が凍みるわけでもない。小さく目をあけようとした。その手に、手ぬぐいが当たった。
「ああ、ありがとう」
 八樹は手ぬぐいで顔を拭く。
 拭いて、自分に手ぬぐいを渡してくれた人が誰なのか確かめようとした。
 後ろに、誰もいない。
 周囲をいくら見回しても誰も居ない。
 誰も居ないのに、風もそれほどあるわけでもないのに、手ぬぐいが自然と手の高さまで届くのだろうか?
 足下を見た。
 それはなんと表現すればいいのだろう。
 丸い滑らかなボディ。そして肌の色は銀色で、人の形にしてはあまりにも滑らか過ぎる。頭の先は少し尖がっているが、逆に本来大きく凸となる鼻は無いに等しく、鼻腔がハの字になっていた。その下にある口は半分開いたへの字で、何かを訴えているようにも思える。だが、何より目を引くのは大きな黒いつぶらな瞳。それが宗長を見上げているのだ。
 剣の道を歩んで数年、いや、生まれて落ちて16年。人外と思える幾多のライバル達と渡り合ってきたが、すでにその『人外』の域を越えている存在。
 生涯のある意味の最大のピンチである。
 八樹は硬直したまま、頭の中はフル回転していた。
 相手は身長50センチほど。八樹の手には凶器とも言える素振り用木刀(鉛入り)がある。戦えば勝つことができるのではないのか?
 それともこれは密かに誰かが気配を断って置いていった置物……にしては妙に存在感がある。
 今はこの形をしているが突如巨大化し、八樹を踏み潰すかもしれない。
 スライムのようにアメーバー状になり、八樹の全身に絡みついて窒息死させてくるかも。
 いや、まさかとは思うが、この形はあくまでも仮で、悪魔に変身して八樹を地獄へと連れ去るのか。
 八樹の頭の中は考えられる最大限の事が浮かんでは次々と回転し始めている。
 全身から噴出す汗。
 指一本動かせない緊張と気迫。
 迫る人生最大の試練。
 ここで八樹が純正ギャグキャラクターなら『宗ちゃんピ〜〜〜ンチ!』と叫びたい気分だ。
 八樹と謎の存在の間に、一体どれだけの時間が流れたのだろう。
 八樹に声をかける者が居た。
「やあやあ、八樹君」
 炭酸の抜けたサイダーのような声で、進学科の同じ2年生が声をかけてきたのだ。
 宗長よりも先に謎の存在が相手を見て、手を振る。
 相手――汚れた眼鏡にぼさぼさの伸びた髪、とても清潔そうには見えないがり勉の典型的スタイルのような男――恵比須理平が愛想よくへらへらと笑っているのだ。そして、八樹の殺気を全く感じていないのか、へらへらとしながら全く筋肉のついていない細い腕を振る。
「こんにちわ、○□○□さん。いい天気ですね?」
「………………」
「はあ、そうですか。明日は降りそうなんですね」
「………………」
「そっちはまだまだ研究中ですよ。もちろん完成したら試作品をお見せしますから」
 恵比須はごく普通に会話をして……会話?!
「恵比須君…………」
 八樹の手ぬぐいを持った手が震える。
 恵比須は相変わらず惚けた笑みを浮かべて首をかしげた。
「も、もしかして……ソレは君の……」
 友達か、発明品か、それとも開発品か。いやまさか――恋人――愛人――婚約者?!
 八樹の頭の中はぐるぐると回りまわって、色々と妖しい単語が浮かんでは消えていく。このような八樹の症状を“パニック”と世間では言うのだろう。いくら冷静沈着、ひとたび微笑めば女子生徒たちが卒倒し、クスッと笑えば背筋を凍らせ敵が逃げていき、にっこり笑ってちょっぴりお茶目に闇討ちをする(一部引用に誤り)体育科四天王・八樹宗長でも、パニックに陥ってしまったのだ。
 そして、恵比須は相変わらずへらへらと笑っている。骨の抜けたような揺らぎで、謎の存在を紹介したのだ。
「僕の友達ですよ。239年前に地球にいらっしゃった○□○□さんです。八樹君のファンだそうですよ」
「あ、ああ、そう…………え?」
 今なんと?
 八樹の額から、冷たい汗が滝のように流れ出した。ただでさえ、自分を取り巻く女生徒達の多さにウンザリしているのに、この謎の存在……いや、すでに女生徒達以前の問題だろう。地球に来たということは……宇宙人。宇宙人をファンに持つ自分の存在に、かなり疑問をもってしまった。
「え、恵比須君……ファンって?」
「いやぁ、四天王の皆さんのファンだそうです。こう見えても○□○□さんは格闘ファンで、梧桐君の試合とか、必ず観戦しに来てくれるんですよ。八樹君の試合も」
 来ているのか?!
 他校との対抗試合にも、来ているのか?!
 八樹は滝のような冷や汗を流しながらも、心の中で大音声で突っ込みをする。
 声に出してもいいのだが、宇宙人の言葉は理解できないし、恵比須はおそらくクソ真面目なのど丁重に答えてくれるだろうが……そんな真面目な答えなどいらないのだ。今の八樹とって、心の中の突っ込みは、現実逃避。
 あまりにも現実逃避していた八樹は、殺気を感知できなかった。
 いや、ちがう。音さえも遮断して現実逃避をしていたのだ。
 八樹の背後に、いきなり衝撃が走った。
 長身の八樹の背中に体当たりし、そして、肩によじ登り、頭の上を踏み台にして、大きくジャンプ!
 さらに後ろから、追撃者が追いかけてくる。
「待て―――!!」
 追撃者は、エプロンと三角巾と巨大しゃもじで武装した明稜高校の居候――クロ助であった。
 クロ助は八樹の頭を踏み台にした大太りのミニチュア・ブルテリア犬がすたこらと校舎の影に消えていくのを呆然と見守った。
「宗長。何で捕まえてくれなかったんだよ」
「………………」
 後頭部を押さえてうずくまる八樹には、何も返す言葉は無い。
 このクロ助という男が、漂々とした見かけ以上に強く、常識はずれだと言う事を知っている。そう、常識が通じていたら、この明稜の森にホームレス同然で済み、校内の食堂でバイトなどしない。
 犬に足蹴にされ、さらに滅茶苦茶なことを言われた八樹は立ち上がる気力も無い。
 ぽんと、八樹は肩を叩かれた。
 顔を上げると、つぶらな瞳の明らかに地球外生命が、慰めの意味を含めているのか肩を軽く叩いてくる。
 八樹の心の中を涙が滝のように流れた。
「やあ、理平。○□○□さんとまた妖しい実験企画でもしてんの?」
「妖しいとはなんですか。僕と○□○□さんは全宇宙の環境に優しい植物を作ろうと日夜研究しているのですよ」
「へぇ?アトムはどうなんだよ?」
「今、人工知能に取り掛かっています。毎日2時間の睡眠ですがとても楽しいですよ」
「じゃ、出来上がったらサ、俺と戦わせてよ。○□○□さんも観戦に来てくれるだろう?」
「……………」
「ボクのアトムは世界平和のためです〜〜」
「…………」
「え?歩行実験をこの森でするのか?へへへ、たのしそー」
 八樹を取り囲んでいた3人(?)は楽しく喋り始める。
 はたしてここが東京なのか、日本なのか、地球なのかさえ疑わしかった。
 

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 しばらく八樹は部室へ行く時も校舎伝いにそろりそろりと歩いていく事になる。
 明稜の森で妖しげな影を見たとか、二足歩行するロボットの怨霊が居るとか、二つの光る宝石が空中を行くとか。
 八樹は何が起こっているのか、想像しない事にした。
 そう、明稜の森――そこは神秘と未知と謎の森。
 何が住んでいて、何が起こるのか誰も知らない。
「よし、魔物退治だ!」
 生徒会長の招集が遠くで聞こえるが、八樹はあえて無視をした。
 
 
 
 
 
 
 

【END】